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有限会社青木鍼灸治療院 代表取締役兼院長 青木広光 さん

DSCF2573.JPG1972年:熊本県熊本市に生まれる。
3歳の時、アパートの階段から転落。後頭部の強打し、束状網膜剥離という障害で急激に視力が低下する。1978年4月、熊本県立盲学校小学部に入学。その後、1984年4月、同中学部、1987年4月、同高等部普通科を歴て、1990年4月、同高等部専攻科理療科に進む。はり・きゅう・マッサージの専門的な技能を習得。1995年4月、はり・きゅう・マッサージ師の国家資格を取得。1999年4月:筑波大学理療科教員養成施設 理療臨床部に入学。2002年4月:筑波大学トレーニングクリニック(現在のトレーナーズクリニック)鍼治療スタッフ着任。2004年4月、筑波大学理療科教員養成施設理療臨床部、筑波大学トレーニングクリニック鍼治療スタッフ修了。2005年4月:有限会社青木鍼灸治療院を開業。地域住民の健康維持増進のため、また関連学会等での臨床および研究活動、業団体によるはり・きゅう・マッサージのボランティア活動を通じて啓蒙活動に従事、日々精力的に活動中。

青木広光 さんの素顔!

1.jpg私が青木さんと初めて会ったのが約5年前、パソコンショップYKBに視覚障害者用のパソコンを自作したいと来店されてからだ。
青木さんには、仲の良い古くからの友人で松村さんという人がいる。いつも2人、車でお店にやってくる。松村さんはお店でゲーム部長と言われ、パソコンやゲームについて大変詳しく、メンバーからは、青木・松村両名のことを「マニヤックコンビ」と呼ばれ、誰もやらないような超高速仕様でパソコンを組み立てたり、無茶な改造で部品を壊したりと危険ユーザーと認識されてる・・(笑)。
DSC_7831.jpg常に明るく、周りの人に視覚障害があることを感じさせない青木さんだが、ここに至るまでにはいろんなことがあったと思う。今回はそんな青木さんの歩いてきた道のりを調べてみた。
 青木さんは、1995年の4月、単身で上京。知人の紹介で世田谷区は三軒茶屋の某鍼灸マッサージ治療院に入社した。当初は言葉遣いや習慣など、またはじめての東京での一人暮らしと途惑う場面もあったが、月日を追うごとに徐々に慣れていった。 月日は過ぎ、入社して約1年。担当する患者さんも徐々に増え、忙しい毎日を送っていたころ、自分の中で、言いようもない漠然とした不安感がこみ上げてくることが多くなった。ベテランの治療スタッフの中、現場で一生懸命にがんばっていれば、知識や実力も上がると自分に言い聞かせながら。ある患者さんの治療の際、1回目の治療から5回目の治療まで、順調に症状は減少したが6回目意向、それまでと違い、症状の顕著な減少は見られなくなった。院長や先輩治療スタッフに相談したところ、基本的な症状の鑑別において、自分の見落としであることがわかった。精神的に落ち込んだ。盲学校卒業後、現場で覚えた知識ではなく、あくまでも基礎的なことでの失敗。また患者さんへのフォローも満足にできず。このことを切っ掛けに、知識や技術、人間性の未熟さを痛感することになり、それまでに興味のなかった、勉強会に参加したり、独学に力を入れた。
今後、この仕事をやれるのか、この仕事を好きになれるのか、自分にあまえはないのか、真剣に向き合わなくてはいけないと自らを変えるつもりで。


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1998年4月、北区赤羽の鍼灸マッサージ治療院に入社。

このころ、他の治療スタッフの治療法を観察することにより、自分の治療法を向上させられないかと思い始め、スタッフ間で終業後、意見交換や実技などの勉強会を行うことを通じて、失いかけていた自信を回復させていった。 そんなとき、筑波大学に、はり・きゅう・マッサージについての研究や実技の研修を受けられる学科があると知人に紹介された。「筑波大学理療科教員養成施設」である。
同施設は、はり師・きゅう師・マッサージ師の教育に関わる専門的な教員を養成する国立大学では日本にただ一つの施設で、併設された、「理療臨床部」では、研究を目的としたはり・きゅう・マッサージの外来を行い、教授・准教授・講師などの指導の基、治療技術の向上並びに実践、治療に関する専門的な研究および関連学会等での発表など、はり・きゅう・マッサージ分野での最先端の施設である。
 興味を持った青木さんは、治療スタッフとして勤務しながら、傍らで1年、入学試験の準備をすすめた。
 しかし不安要素もあった、社会人を続けながらの在学はカリキュラム的に困難なので、入学した際には、治療院の勤務は、常勤から非常勤にシフトしてもらわなければならない、勤務日数は減少する。必然的に収入は激減し、学費や生活費の面で問題が生じる。進学の件を思い切って、両親に相談した。期限付きで熊本に帰郷することを条件に、仕送りをしてもらうことになった。不安要素も消え心置きなく入学試験を受けた。

1999年4月、晴れて「筑波大学理療科教員養成施設」の「理療研修生」として入学!

同期の研修生の中で、視覚障害者は青木さんのみ。自分が視覚障害者ということを周囲の研修生に理解してもらうことで、自らできることや多少の介助を必要とすることなど、詳しく知ってもらうよう努力を心がけた。
 外来での治療や発表活動を送りながら、充実した毎日が続く。
そんなとき、試合前のスポーツ選手の治療を見学する機会があった。
陸上部で中長距離選手。骨格や筋肉の付き方、訴える症状など、専門的な協議特性の違いから、訴える症状が一般の患者さんとは異なっていた。担当の教官は、スポーツ選手の治療や研究を専門的に行っている方で、はり・きゅう・マッサージを受けるスポーツ選手は多く、トップアスリートから学生、生徒、児童と幅広い。筑波の本学には、スポーツ選手を専門に見る外来、「トレーニングクリニック」があり、多くの体育学科に所属している職員や学生が利用している。「トレーニングクリニック」の治療スタッフになるには、スポーツ選手に関する知識や現場での必要な治療実技の習得と専門的なことが要求される。2002年4月から「トレーニングクリニック」の鍼治療スタッフとして着任した。 その後、専門であるスポーツ傷害に関連した研究活動として、スポーツイベントでのアンケート調査や治療の実践、運動習慣のある学生ボランティアを募集しての治療効果の研究と多忙な日々を過ごしていた。また芸能活動の一環として、2002年・2004年の東京国際フォーラム、ブロードウェイミュージカル「ピーターパン」の専属トレーナー兼鍼灸師として、舞台俳優の傷害予防や治療に携わった。有名どころとして、治療を行っていた俳優さんとしては、1980年代に一世を風靡した大映テレビでおなじみの、「T見S吾」さんや「H企R恵」さんなど。未確認の情報では青木さんは多忙なところ、友人の松村さんのために「T見S吾」さんにサインを頂いたとか。

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青木さんの長年の夢!

 熊本市、有限会社青木鍼灸治療院。青木さんの長年の夢や理想が形となった物です。治療院勤務・大学臨床研究施設での経験を生かし、現代医学、体育科学、鍼灸学を基礎に、包括的な治療を行うという熊本では新しいコンセプトの治療院です。
熊本では珍しい、「筑波大式鍼通電療法」を用いて治療を行っています。仕事や家事での精神的・肉体的な疲労回復、トップアスリート、部活動の学生、生徒まで患者さんの層は幅広い。
院内は明るく清潔に保たれ、玄関から診察室、治療室、お手洗いに至るまで段差がなく、車椅子の方やご高齢の方などに安心して来院していただける環境となっている。各治療ベッドは電動昇降式で、楽に乗り降りが可能。
お手洗いは特にゆったりと広く、便座の位置や洗面台の高さも考慮されており、バリアフリーに配慮された治療院です。

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最後に、青木さんに現在の活動と今後の抱負を聞いてみました。

 日本各地で開催される「全日本鍼灸学会」、「日本体力医学界」、「日本臨床スポーツ医学界」、「全日本鍼灸マッサージ師会全国大会」をはじめ、東京大学における「現代医療鍼灸臨床研究会」、地元熊本の研究会、業団体、各種ボランティア活動に積極的に参加して、最新の現代医学・鍼灸治療の分析を行っています。
 今後の抱負として、多くの痛みを伴う病気に苦しんでいる方々のため、これまでの学会活動や研究活動を通じて培った経験を生かし、治療活動を行っていきます。私のような視覚障害を持つ盲学校の新卒者に対して、より実践的で理論的な研修の場を設け、それぞれが自分にあった方向性で、得意分野の確率や経験値の獲得など、自信を深め真剣に取り組んでもらえるような、はり・きゅう・マッサージの「卒後教育研修センター」の開設を視野に入れています。障害者や健常者が等しく業界でお互いに、切磋琢磨しながら、共に反映できるような環境作りの手助けができればと考えています。

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