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一杯のラーメンの温かさが生きる活力を・・・愛のラーメンから広がるボランティアの輪
九州ラーメン党 代表 濱田龍郎さんに聞く

IMGP0493.JPG今回は、ラーメン出前で出会った知的障害者との交流がきっかけでボランティアを始め、雲仙普賢岳噴火、阪神淡路大震災、台風高潮災害、三宅島避難者支援、最近では、派遣村支援などといった、さまざまな災害に被災し支援を必要としている人々に、温かい心のこもったボランティアラーメンを提供し、また、被災地だけでなく、障害者施設や老人ホームに出張調理ラーメンサービスも続けている、NPO法人 九州ラーメン党 代表の濱田龍郎さん(65歳)に、いろいろとお話を伺いました。

ボランティアで無償のラーメンを提供しようと思ったきっかけを教えてください。

IMGP0505.JPGラーメン屋を始めて4年目(平成元年)の春、店の近くに障害者福祉施設ができることになり、完成間近のその施設に初めてラーメンを出前に行った時のことです。少年が、何か叫びながら突進してきました、私は訳もわからず怖くなって岡持ちを置いて後ずさってしまいました。少年は、なおも何か言いながら、笑顔で手を差しだして岡持ちを握って先に歩き始めました。重度の障害を持った少年が、ラーメン屋さんのお手伝いをしたいという素直な気持ちがとった行動だったことを、施設の職員に知らされた私は、怖がってしまった自分への恥ずかしさと、少年の後ろ姿に「人は誰でも人のためにできることがあるんだよ」と教えられたような強い衝撃を受けたのです。1か月後施設の給食室が完成し出前の必要がなくなるまで、何度となくラーメンを出前したのですが、その都度少年をはじめ、多くの子供たちが岡持ち運びを手伝ってくれました。給食室が完成した後、しばらくして寂しくなった私が、出前のお礼を兼ねて、施設の子供たちと職員の皆さん全員を店に招待しました。20人も入れば満員の店内に50人近くの人が入り、立ったまま目をキラキラさせながら「おじちゃんおいしいありがとう」と言ってラーメンを美味しそうに食べてくれました。このときの感動が、きっかけですね。


NPO法人 九州ラーメン党について聞かせてください。

IMGP0527.JPG福祉施設での出来事がきっかけで、ボランティアの心が芽生えた私は、徐々にいろいろな方々にラーメンを提供していました。そのことが噂になり新聞やマスコミに取り上げられたりしたのですが、ラーメン屋の営業目的でやっていることではないので困惑していました。しかしおかげで多くの方達との出会いがあり、私の呼びかけに、志を同じくした同業者や食料品店経営者、農家の人たちが集まっていただき、平成4年に設立しました。それ以来、障害者や高齢者施設を車で訪れ、本格ラーメンを届けています。また、平成11年には県内で最初のNPO法人として認可されました。
平成7年1月に阪神大震災が起きた時は、鍋と釜、飲料水、ガスボンベを車に積み込み、仲間と一日以上かけて現地に入って行政の手が届かない被災地を中心に車を走らせ、寒さの中、被災地で温かいラーメンを食べていただきました。
大変な労力とお金がかかりました。でも、一杯のラーメンを心から喜んでくれる人たちを前にして苦労も吹き飛びました。
 昨年末から今年の初めにかけては、派遣職員がリストラされてできた、東京の派遣村にも行ってラーメンを食べていただきました。いろいろな辛い思いをしている時に、1杯の温かいラーメンを食していただき心を安らいでいただきたかったからです。

そよかぜ福祉作業所について聞かせてください。

IMGP0501.JPG 平成11年に九州ラーメン党がNPO法人として認可された翌年にメンバーが提供してくれた空家を改装して通所型の作業所「そよかぜ福祉作業所」を発足させました。
 障害等をもつ人に少しでも社会参加してもらいたいのと自立支援を目的に、作業所で製造した、弁当、惣菜、自家菜園野菜、自家製パン、クッキー、コーヒーなどを障害者とともに販売しています。今では、ラーメン等の出張販売と合わせると月に100万円ほどの売り上げを上げています。
障害等をもつ人が自分の好きな時間に作業所に来て、できる仕事を可能な限りがんばって、給料をもらい社会に参加している喜びを感じて、自立へと向かってもらいたいのと、みんなの笑顔を見たいというのが方針です


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お店がないのですが、濱田さんはラーメン屋をされていたんですよね?

IMGP0540.JPGはい、「福ちゃんラーメン」というお店をやってました。とは言ってもほとんど家内に任せっきりで、私は、作業所やボランティアにかかりっきりでした。ボランティアのやりすぎで店を潰したと言われるのが勲章だとさえ思っていました。おかげさまで、出張ラーメンと作業所が軌道に乗り、2年前に店をたたむことができました。

と言うことは、現在では、出張ラーメンでしか、濱田さんのラーメンは食べられない訳ですね?

IMGP0522.JPGそうですね、今では、養護学校の学園祭等をはじめ色々なイベントに呼んでいただいています。そこにお越しいただければ、有料ですが食べられます。催しの内容によって値段は変わりますが、ほとんど材料費、高熱費、雑費程度の価格です。利益が出た部分は、障害者支援やボランティア(支援)ラーメンに回させていただいています。
 来年1月30・31日は、グランメッセ熊本でくまもとラーメンまつりが開催される予定でそこに出店する予定ですので、ぜひ食べに来てください。


ボランティアラーメンは、どんなお味ですか?

IMGP0570.JPG基本的には、とんこつベースのみそ味なのですが、配る対象者によっては、いろいろ変える場合もあります、流動食の方にはミキサーで「おかゆラーメン」を作ります、キザミ食のお年寄りには、小さく刻んだ「キザミラーメン」、糖尿病の方には、「減塩ラーメン」だって作ります。
 もともとは熊本ラーメンの王道、こってりとんこつ味だったのですが、とんこつベースのみそ味に変わったのは、阪神大震災での支援がきっかけでした。関西方面の方々には、とんこつスープは「匂いがきつすぎて食べられない」といったご意見がお年寄りを中心に多くありまして、困惑して思案したあげく、とんこつスープに味噌を混ぜたところ、美味しいと評価をいただけたのです。それ以来、日本のどこに行っても受け入れていただける味噌味を採用したのです。

これまでで辛かったことは、なんですか?

IMGP0553.JPG やっぱり、平成元年のきっかけから21年目を迎えていますが、休むことなくボランティアを継続してやり続けることが辛い時もありました。ボランティアの旗を揚げたからには、途中で降ろすことはできないんです。続けることが一番難しいですね。
 私は、酒も煙草もやりませんし、おしゃれも贅沢もしません、その分で浮いたお金で1年間で1160杯分のラーメンを無償で提供できる計算になるからです。ボランティアを始めたころは、3人の娘がまだ独立していませんでしたし、家族を養っていかなければいけなかったので、家計にできる限り負担をかけないように自分でできることは何でもやりました。これまで、やってこれたのも、家族の愛と理解と協力に支えられてきたからです。


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最後に濱田さんにとってボランティアラーメンとは?

IMGP0494.JPG 私は、ボランティアラーメンを日本一のラーメンと思っています。日本中に、高級の食材や製法など、作り手こだわりのおいしいラーメンはあると思いますが、私の提供するラーメンは、ラーメンに使ってくださいと食材を提供していただく方々の思い、作り手の思い、そして食べていただく方々の思いの融和したラーメン、命の重みを感じていただけるラーメンだからです。どこにも負ける気がしません。
九州ラーメン党を通じてたくさんの素晴らしい出会いがありました。そしてその出会いは、今も続いています。1つの出会いと感動がある限り、私は、走り続けます。
 沖縄にも是非行って、熊本のボランティアラーメンを食べていただきたいですね。

今回の取材を通じて!

IMGP0525.JPG 今回の取材を通じて、ボランティアラーメンがどうしても食べたくなり、熊本県菊池郡大津町にある、県立大津養護学校の学園祭に出店されているところに行って、ラーメンを食べてきました。小雨交じりの肌寒い校内でしたが、みんなの笑顔が生き生きして、楽しそうだったのが印象的でした。
とんこつみそ味のラーメンを完食しました。うまい!いつか、濱田さんと一緒に沖縄の皆さんにラーメンを届けに行くぞ~!と叫んでいました。