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うろんころん二の丸広場

DSC_0266.JPG熊本交通センターから徒歩15分。熊本市の市民会館(現在の名称は崇城大市民ホール)を横に見て、熊本城の南側の坂・みゆき坂を上ると、門衛の待つ城の正面玄関・頬当御門に着く。
今回は城周辺の紹介なので、門の反対側。砂利道を歩いて大手門をくぐって二の丸駐車場を通り、二の丸広場を抜け、広場の東端のチョコレート色の建物・熊本県立美術館本館へ。ここまで徒歩15分。手入れの行き届いた芝の広っぱ、二の丸広場をちょっと散策したため時計は20分近くかかっていたが。

熊本県立美術館本館

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この日は「くまもとの近代を彩った名匠たち-近代文化功労者60年の足跡-」が展示されていた。入口や館内にはスロープもある。ここのお勧めは1階(地階の雰囲気)常設展示の装飾古墳室。県内のチブサン、千金甲(せごんこう)などの装飾古墳や石製品を、レプリカや実物で展示してある。冷んやりとした展示室にいると、幽玄の世界に引き込まれるような、それとも悠久の時を超えて古墳時代に誘われるような…。


2.jpg装飾古墳は全国に800基余りが知られ、九州には約500基。熊本県では菊池川中流域地区、熊本市周辺、八代海沿岸、人吉盆地の4地区にあり、菊池川中流域は最も装飾古墳が集中している。チブサンは県北の山鹿市にある装飾古墳。壁画に2つの円が描かれていて乳房に見えることからチブサンと呼ばれている。大正11年に国の史跡に指定されている。昭和30年代の中ごろまでは、実際に古墳の中に入れたが、今は固く閉ざされている。
常設展示の中に「今西コレクション」というのがあるが、これは肥後もっこすを貫いた市井の1サラリーマンのコレクション。収集のために生活費を切り詰め、一生を独身で過ごした元NHK職員の今西菊松という人が集めた古美術を、没後に遺族が美術館に寄贈した。
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 肉筆浮世絵や人間国宝の工芸家による漆器、陶磁器など394点。常設展でその一部を、時折「今西コレクション展」としてテーマごとに企画展が開かれている。戦前から人形などを収集していた今西さんは戦後、米国人浮世絵を買いあさっていったのを憤慨、収集に情熱を燃やしたらしい。1987年12月に死去。意識不明で救急病院に搬送される際、散乱した美術品などの中で毛布に包まって寝ていたという。
 美術館本館には別棟の細川コレクション永青文庫展示室もある。中世から近代にかけ約700年、江戸時代の肥後藩主・細川家に伝わる美術工芸品や古文書が公開されている。


DSC_0265.JPG二の丸公園
DSC_0270.JPG休憩中のワンちゃん
DSC_0280.JPG美術館のスロープ
DSC_0277.JPG案内板
DSC_0289.JPG細川コレクションは別棟

熊本博物館

美術館を出て二の丸広場北側の石段を下ると三の丸ゾーン。左右に駐車場があり、西奥に見えてくるのが熊本市立熊本博物館。
 熊本の自然・人文の博物館として昭和27年(1952)に設立、その後電車通りに面した花畑町(交通センター近く)から昭和53年(1978)に現在の本館ができた。従来の自然、人文の両部門に加え、理工学部門とプラネタリウムを併設した総合博物館となった。また、博物館は熊本城天守閣に分館も設置している。

 この日は企画展「横井小楠とその時代」が開かれており、入口にはのぼり旗が立ててあった。横井小楠は幕末の思想家で、坂本竜馬にも影響を与えたといわれている。江戸時代に福井藩の藩政改革に手を貸し、明治政府からも参画を乞われるなどしたが、肥後藩では優遇されず、近年まで熊本ではあまり知名度はなかった。

 入口の手前10メートルほどのところにスロープの入口がつき、入場が容易になっている。

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博物館のおすすめ!

4.jpgここではプラネタリウムを薦めたい。入場料(300円)のほかに200円のプラネタリウム入室料はかかるが、投影時間50分、ゆっくりと宇宙を旅することが出来る。16メートルに投影される天空の星空を見るだけでなく、夢の中へも…。
 夏の暑い日にここへ来たことがある。割と空いていたのでプラネタリウム室に入った。上を見やすい角度のある背もたれのいすで、説明を聞くうちにうとうと。投影中はほとんど爆睡、明るくなり周りが退室し始めて目が覚めた。気分スッキリ、疲労も回復。そんな効果もあるんです、この施設には。でもイビキだけはかかないように。

石組み技術!

5.jpgまた熊本に多い石組みの眼鏡橋、中でも水路を内蔵した矢部の通潤橋は1854年に造られた日本最大級の眼鏡橋。博物館の理工展示室にはアーチの石組み技術や通潤橋の送水管の仕組みを紹介している。
 石橋は江戸後期に肥後の技術集団の種山石工が造った。通潤橋は水の乏しい白糸台地へ水を供給する導水橋で、時の総庄屋が資金を出した。アーチ型の木枠に石を置いていく工法で、完成し木枠をはずす際に総庄屋は白装束で橋の真ん中に立ったといわれている。アーチ型の石が互いに支えあうが、もし設計と施工にくるいがあれば橋は木枠をはずした瞬間に崩れることになる。施工主も石工も命がけだった。.


旧細川刑部邸

DSC_0323.JPG博物館の北側にあるのが旧細川刑部邸。大名屋敷と説明板に書いてある。
入口から波型に整地された砂の庭園(歩行用に石畳の通路を歩く)が続き長屋門で入館料(300円)を払って入る。
 建坪300坪(990平方メートル)で、蔵が付属した長屋門を入ると、唐破風の大玄関、ついで御客間から入側造りの表御書院、二階建ての「春松閣」とつづき、別棟に書斎の付いた茶室「観川亭」や御宝蔵などを備え、全国有数の上級武家屋敷としての格式をもった和風家屋。昭和60年(1985年)に県の指定重要文化財に指定された。平成2年から4年がかりで、子飼から熊本城内三の丸に移築された。
邸内は残念ながら車いすでは行けそうもない。

DSC_0337.JPG長屋門の北側に抹茶色ののれんを見つけた。熊本市シルバー人材センターが運営している「喜遊亭」。抹茶を振舞っていた(ここは200円。場内にも同様の抹茶処があり、そちらは300円だそうだ)。長屋門のそばから、ここだけは通行が許された砂利の庭を抜ける。車いすの轍も残っていた。亭内の四畳半にコの字型に赤い毛氈が敷かれ、正座して抹茶をいただいた。
広くはないが日本庭園に囲まれ、木漏れ日を眺めながらのお茶は、作法は知らなくとも気持ちを落ち着かせてくれるものだ。1時間半のちょっと散策で、格好の休憩時間になった。


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三の丸広場

博物館と細川刑部邸の間を西に抜けると右手に三の丸広場がある。広くはないが大きな木々に囲まれ、整備されている。観光客はまず来ない、ほとんど人影のない閑静な空間。二の丸公園もそうだが、ここにも飼い犬の排泄物は持ち帰ること、という看板。石畳のスロープと石段が1ヶ所、車椅子ではちょっと苦しいかも。
 公園を出て南へ。道幅が狭いのであまり車は通らない裏道。左手の高台は県営の野球場で、高校野球の決勝戦、応援の楽団や歓声が頭上を通り過ぎていった。
 200メートルほどで三叉路を右に曲がり、緩い下りを100メートルも行かないうちに電車道路に出た。熊本市電の上熊本線、段山電停の近く。
 このあたりの裏通りはちょっとした商店街だったが、いまはマンションや駐車場が目立ち、通りを歩く人も少なくなっている。その分、車の抜け道になっているらしく、車は結構走っている。消費者の購買行動が車中心になった結果か。
これで二の丸公園周辺のうろんころんは終了。次回から「熊本市電でうろんころん」シリーズ開始!

実はこのあたりで一休みしたかった。喫茶店かなにかないかと周辺を歩き回ったが、うどんの店や焼きそば店しかみつからなかった。ひっきりなしに車の行きかう道を東へ向かい、熊本交通センターの近くでやっとコーヒーにありつけた。

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