ケントミプロフィール
・平成18年8月民謡デュオ”ケントミ”結成、本格的にプロ活動を開始。
・プロ活動以前からデイサービスなどの介護保険事業所や高齢者・障害者等の福祉施設を訪問しての演奏活動を行っており、現在もライフワークとして取り組んでいる。
ken・・・唄・三線/我如古 盛健(がねこ せいけん)
昭和31年久志村(現名護市)字天仁屋生まれ。
5年後コザ市に転居。12歳のとき初めて、当時25ドルの三線を購入。中学、高校は柔道一筋に励む。
沖縄国際大学時代に現在の師である本竹裕助氏と出会い本格的に三線をはじめる。正月ラジオ番組「若い島唄」(琉球放送)にて最優秀歌唱賞を受賞。
順風満帆かにみえた矢先、30代で難病の神経原性萎縮症を発症。歩行や会話などが困難になり、1年間休職し療養する。医者には回復困難と診断されるが、唄・三線を通じ奇跡的に回復。現在は車椅子による移動であるが、苦難を乗り越えて魂の底から奏でる唄と三線は師匠の本竹裕助が絶賛するほどに。
平成17年10月沖縄民謡本竹会教師免許を取得。現在は弟子の育成と”ケントミ”としてプロ活動とボランティアで活躍中。
tomi・・・太鼓・囃子/比嘉 富子(ひが とみこ)
昭和37年コザ市(現沖縄市)字山内生まれ。
平成14年12月、乳がん摘出手術を受ける。
平成16年我如古盛健氏と出会い、ともに本竹裕助氏に師事し太鼓の指導を受ける。同時期に沖縄少林流空手道国際連盟真武館へ入門し空手を始める。
術後3年目の定期健診で初めて、主治医から実は再発率の非常に高いがんであったことを告げられるが、周囲の支えとともに太鼓と空手に精進し、平成18年5月空手道大会にて優勝。現在初段。しかし同年12月10日にがん再発を告げられ、現在抗がん剤投与による治療中。髪も抜け、強い吐き気やめまいなどに苦しみながらも「一番の薬は前向き」と、人前で太鼓を打つことががん克服の最大の”生きがい療法”との思いから、”ケントミ”としてプロ活動とボランティアに活躍中。
━━━ケンさんは三線をいつごろはじめたんですか?
━━━三線はずっと続けていたんですか?病気の発症?
━━━病気のことを知った心境は?
━━━トミさんは、いつごろから太鼓を始めたんですか?
━━━普段からも練習はしているんですか?
━━━ステージに立っているときのケンさんはどんな人ですか?
初めて会ったのは、トミさんの娘さんに三線を教えたのがきっかけです。
演奏を始めたころは、トミさんは太鼓をやっていなかったんです。
県内のデイサービスや施設を周っていましたが、私が三線を弾いてトミさんは手拍子や囃子を入れていました。あまりにもリズム感が良かったので太鼓をさせてみると、ビックリするぐらい上手だったんです。それから太鼓と三線のケントミが始まりました。
以前は、抗がん剤が合わなくて、髪も抜けたり吐くし・・・。あの時は見ていてもかわいそうだった。でも、このまま何もしなかったら余計悪くなるだけだし。
これは何かやらないといけないな!と思ってイベントを企画しましたよ。
その頃、トミさんの癌が再発していて生存率8%の状況。半年持つか・・・。と言われていたのですが、何か目標を持たせなければ…とイベントを企画した。
コンサートが終わると体調が良くなったり、それまであった影が消えたり。イベントをやるごとに体調が良くなっていました。
でも、2度目の再発。それでもイベントを企画し達成すると体調が回復する。
「定期的にイベントをやらなくちゃいけないな~。」(笑)
それにトミさんは舞台が大きくなればなるほど、いい演奏ができる。不思議ですね。
139cmの小さな身体が、舞台に立つとものすごく大きく見えるんですよ。
━━━ケントミの活動をするやりがいは?
━━━ケントミの今後の目標は?
━━━熊本の皆さん、ぜひ3月14日はご一緒に!