体育館のコートに車いすがぶつかる。いすの上でボールをコントロールし、味方の選手にパス。相手チームの車いすをかわしながらコートの中ほどにある小さめのリングにシュート。熊本市の熊本保健科学大学体育館のバスケットボールコートで、車いすツインバスケットの熊本のチーム「マウゴッツ(Maug's)」は練習に励んでいた。全国大会出場を目指して。(メンバーの氏名はホームページの表記を尊重して、アルファベットにしました)
マウゴッツは5~6年前、2つのチームが合併して結成され、メンバーは9人。練習を見学した土曜日の夜は6人がコートに汗を流していた。
3分のランニング、休憩、そしてまたランニングの繰り返し。「きょうはランニングだけの予定」とH.Matsuokaさん(40)。絵(写真)にはなりにくいってこと。それでも練習の見学とメンバーの取材をさせてもらうことに。
ランニングの合間に話を聞くのだからかなり迷惑なはずだが、みんな快く応じてくれた。
Matsuokaさんは車いすバスケ暦10年。以前ラガーだったそうだ。目標はもちろんこのチームで全国大会に行くこと。「沖縄のチームが強いから」なかなか九州大会で優勝できないというが、チームは九州で3位のレベルというからすごい。
今年は3月に九州リーグ戦があり6月に九州大会。2位以内だとそのまま全国大会に出場できるが、3位なら7月に選抜大会があり、そこで優勝すれば全国の切符が手に入る。マウゴッツはそれを目指している。
ツインバスケは上半身にも障害がある人たちのために1982年に考案され、86年に統一ルールが制定され全国に広がった。下半身と上半身に障害(四肢麻痺)があるため、通常のバスケットゴールにボールが届かないことから、もうひとつ低いバスケットゴールを設けることで車いすバスケットボールができるようにしたスポーツ。2つのゴールがあることから、ツインバスケットボールという名称になった。残存機能によってシュートできる区域が3通りあり、区域ごとにヘアバンドの色を分け、決められたシュート区域でシュートできる。
さらに各選手の障害の度合と残存機能によって持ち点が決定される。コート内でプレイする5人のプレイヤーの持ち点の合計が11.5点以下でなければならず、コート内に入れる4.0点以上のプレーヤーは1人と決められている。
その4.0点なのがT.Fujiiさん(40)。Fujiiさんは上ゴールのシューターだ。車いすバスケ暦15年。「いろんなスポーツに挑戦したけれどバスケが一番合った」。ケガなどでブランクもあり2回手術したけれど「今はもう大丈夫」。
ランニングに強いのがY.Kuwaharaさん(33)。車いすバスケ暦13年。バスケを始めて体力がつきケガや病気をしなくなった。日常の動きもよくなり、腕力も。バスケのほか「マラソンで1時間30分を切りたい」。Kuwaharaさんは熊本では車いすマラソンで名の知れた人だった。
シュート練習のあと、サポーターの人たちも車いすに乗って、ゲームが始まった。取材へのサービスか。
ボールを追って車いすが走る。ディフェンスで相手の車いすを遮りボールを奪い合う。下ゴールの周りに双方の選手が入り乱れ、パスやシュート、カットでボールが舞い、車いすがぶつかり合う。格闘技にも似た激しさ。車いす操作の不慣れなサポーターをかばいながら選手たちはボールを追いかける。
ひときわ真剣な表情でプレーしていたT.Norimatsuさん(22)とS.Norimatsuさん(19)は兄弟。S.Norimatsuさんが「全国大会の試合に出場すること」を目標にし、兄のT.Norimatsuさんは「弟に負けたくない」と。ライバルなんだな。2人ともこのスポーツを始めて、人前に出ることが多くなったという。
もう一人、鎌木啓介さん(29)。アーチェリーや弓道をやってて、バスケ暦は短いが、個人技と違いチームワークが必要なバスケはいろんな人と知り合える楽しさがあった。「今は試合に出ることが目標。仕事しながらバスケを続けていきたい」。
「いろんな人と知り合えた」。メンバーの多くから同じ言葉を聴いた。体力がつくことだけでなく人前に出ることに慣れた(精神的に強くなった)。そしてFujiiさんは「無理の克服と、周りの人の助けや親切への感謝」と表現した。
7年前からチームを見てきたマネージャーのM.Yamamotoさん(25)、学生時代にバスケットをやってたが全国大会にはいけなかった。その夢をチームの活躍に託している。メンバーの体調に気を配りながら。これまでに全国が1回、選手権を2回経験。ボーイフレンドまでサポーターに巻き込み、チームに貢献している。
このチームを取材するきっかけになったのは鎌木さんだった。高校時代にプールで頚髄を損傷し障がいをもった彼が、昨年暮れからYKBにホームページ作成の研修に来ている。プロパン会社の新規事業に従事するためだ。行政の保護に頼らず、前向きに生きていこうとする頑張り屋の鎌木さんに、YKBサポーター・スタッフの一人が感化された。練習を見学していて、血が騒いだんじゃないか。もしかするとこっそり車いすの練習をして、ゲームに割り込むんじゃないかと思うくらいに。
練習を取材してみて、チームの試合を見たくなった、今後OKIKUMAは「マウゴッツ」が全国大会に出場するまで追いかける。(現在「マウゴッツ」のビデオ作成中。乞うご期待!)
熊本に限らず、福岡や東京の街で車いすの人を見る機会は、沖縄ほど多くない。それは障がいを持つ人にとって健常者と交わる機会が少ない、あるいは交わる社会が広くなりにくいということ。低床電車や低床バスが比較的普及していて、ユニバーサルデザインにも熱心な熊本でも、なかなか車いすの人が出歩かない(出歩けない)。車いすバスケなどを通して、少しずつでも人と人の交流が広がり、ふだんから障がいのある人を見かけるようになれば、バリアフリーなどの設備ではなく、精神的な意味で、もっと人に優しい街になるのではないだろうか。